身近な人の臨終から葬儀に至るまでに立ち会うことは、そう何度も経験することではありません。ですから、ややもすると周囲の雰囲気に流されて、飾り付けや社会儀礼などに心がとらわれてしまいがちですが、カトリック教会の葬儀はあくまでも祈りが中心です。
教会の以下の教えが参考になれば幸いです。
葬儀のキリスト教的意義について、カトリック儀式書「葬儀」(カトリック中央協議会、1993年5月刊行)の緒言には、以下のように記されています。
教会は葬儀において、何よりも復活信仰を表明し、キリストによって死者を神のみ手にゆだねる。死からいのちへと過ぎ越されたキリストによってあがなわれたことを信じる教会は、神の偉大なわざを記念し感謝をささげる。 それは、死んで復活されたキリストの洗礼によって結ばれた信者が、キリストとともに死を通って生命に移るよう、すなわち故人が清められて、聖なる選ばれた者とともに受け入れられ、キリストの再臨と死者の復活を待ち望むよう祈るためである。 したがって教会は、死者のためにキリストの過ぎ越しのいけにえをささげ、彼らのために祈り、懇願する。こうして、互いにキリストのからだの部分として交わっている者は救いのわざにあずかり、遺族、参列者は希望と慰めを受ける(ローマ規範版1参照)。
教会の葬儀は、死者のために祈ることのみを目的としているのではない。生者のために祈る場でもある。 神ご自身が、悲しみのうちにある遺族の力、励ましとなってくださるように祈ると同時に、洗礼によってキリストの死に結ばれたものが、その復活にも結ばれることができる、という復活への信仰を新たにし、宣言する場でもある。
葬儀ミサに続いて行われる式(告別と葬送)は、キリスト者の共同体が故人に別れを告げ故人を神にゆだねる儀式であって、故人が清められると解するべきではない。清めはむしろミサによって行われる。死においては常に別離の悲しみがあるとはいえ、キリストのからだとして一つに結ばれているキリスト者は死によっても離されるものではない。(ローマ規範版10参照)
家のしきたり、地方の習慣などについては、よいものはこれを取り入れ、また福音に反するものと思われるものはこれを変えて、キリスト信者の葬儀として過ぎ越しの信仰と、福音の精神を表すものとなるようにしなければならない。(ローマ規範版2参照)